サブタイトル
タイトル 表紙

こんにちは。水上もえです。

法政大学2年生で、ものづくりについて幅広く学んでいます。

そろそろ就活なのに、どんな仕事に就きたいのか

ぱっと答えられない今、

何かヒントを得られるのでは、と思い

私の母のいとこであり、元システムエンジニアの

佐藤みのりさんに、"20代の転機"

というテーマでお話を伺いました。

インタビュイー

みのり画像

佐藤みのりさん

50代主婦

元システムエンジニア

現在は趣味でものづくりを楽しむ

インタビュアー

かもめ画像

水上もえ

大学2年生

ものづくりについて学ぶ

就活が不安

波の画像

仕事との出会い

ーーー
今日は来てくださってありがとうございます。
よろしくお願いします。早速なんですけど、
20代の転機って、何ですか。
みのり
20歳っていうと、ちょうど就職の時でね。
私が(短大を)卒業する1年前が1993年で、
バブル崩壊 のときだったの。
やっぱり会社が倒産して、
1番困ったのが雇用止めになる。
そこで一番影響受けたのが女子学生なのね。
当時は、確か男女雇用機会均等法が
制定されてすぐで、改正を重ねてるんだけど。
女性って男性より長い時間働けないし…。
ーーー
まだ、男女で格差があった時代だったんですね。
みのり
そうそう。今はないけどさ、
総合職と一般職って分かれてて、
総合職っていう、基本的には事務職をする仕事が
一般的な女子の就職先でね。
でも、そういうのが一切なくなっちゃって。
私が会社に資料請求しても、
まず資料が届かないし、来ないのね。
男女レース
ーーー
え!じゃあ、就活どうしたんですか!?
みのり
結構やばくて。実際に内定もらったのが、
日本生命の営業だけだったの。
だけど、うちの母や叔父がね、
営業はいずれは歩合制になるから、
きつくなるっていうの。
でも、就職先ないわけよ。
就職浪人するような時代でもなかったのね。
私は教育学部だったから、
先生の免許取る学部だったんだけど。
ーーー
教育学部に行ったのにエンジニアに?
みのり
そう、そこなんだけど。
私が短大でとっている授業の中に、
プログラミングの授業があったの。
小中学校でパソコンが普及した時のために、
教材をプログラミングして作りましょう
っていう内容で。その先生の知り合いが
ソフトウェア会社をやっていて、
今後、女子も長く働けるようになるから、
女子を積極的に雇用したい。
知らなくてもいいから、
真面目で根気のあるような人がいいっていう
お話があって。
ーーー
へぇ、なるほど。
そこがプログラミングとの出会いだったのか。
みのり
うん。私は、その話を学校で聞いた時は
なんとも思わなかったんだけど、
同じく就職決まってない友達に、
一緒に受けようよって言われて。
親に言ったら、先生の紹介だったら
いいんじゃないって言われたから
受けたのね。そしたら受かって、
で、入ったの。普通、就職する時に理転って、
ほぼほぼないじゃん。
ーーー
確かに、文系の人が就職の時に理系の仕事を
選ぶことってそうそうないですよね。
みのり
だからってさ、ほんとありえないんだけど(笑)
今思えば転機だけど、当時は流されて入って。
その当時はさ、知ってる?
ポケベルの時代だから。(笑)
だから自分で好きなように情報を
取れないわけだ。新聞かテレビかでしょ。
パソコンも持ってなかったのね。
ワープロって言って、
ワードが1つの端末になってるような
パソコンがあってそれを使ってた。
ーーー
ポケベルもワープロも聞いたことはあります!
みのり
ほんと?だから面接で、
パソコンやったことありますか。って言われて、
オアシスならありますって、
その、、ワープロメーカーを言ったの。
そしたらニコニコされて(笑)
でも、それで入るに入れたんだよ。
ーーー
うわー、よかった。
実際に就職してからはどうだったんですか。
みのり
結局研修とかしても全然わかんないのよ。
一緒に入る人って、工業学部の人とか、
あとは高専とかの人ばっかりだから、
業務内容はできなくても、
プログラムは作れるでしょう。
で、講師の先生が言ってることわかるじゃない。
私はもう全然わかんないから、
どうしようと思ったの。
ーーー
そりゃあそうですよね。
みのり
でも、一応先生から紹介の形で入ったから、
3年は勤めなきゃいけないっていうのが
社会の暗黙のルール的な感じでね。
だから、3年は仕方ないからやるしかない
と思って、やってたんだけど、
結局プログラム作るって物作りと一緒で、
何もないところから自分で作って、
意外にね、楽しくなってくるの!
やってる時は、プログラムを自分で
ひたすら向き合って作るだけだから、
意外に性に合ってて。
ーーー
みのりさん細かい作業好きですもんね。
みのり
そうなの。それがどんどん大きくなっていけば、
当然達成感みたいなのも大きくなっていくし。
できれば、「やった!やべ、私天才かも。
やったことないのにできた!」みたいな。(笑)
だんだん楽しくなっていくの。
そのうちやっぱり、なんて言うんだろう、、、
社会を動かしてるような感じを感じてきて。
ーーー
社会を動かしている?
みのり
そう、だって何も知らなかった頃は、
画面をピッと押せばピッてなるって
思ってるじゃん。
その中に何が入ってるかなんて、
ちっちゃいおじちゃんが入ってんのかな、
ぐらいじゃん。
今までどうも知らなかったことが、
こういう仕組みなんだってなんとなくわかる。
そうすると、社会のみんなが知らないところを
知ってるような、優越感があって、
楽しくなった。
ーーー
なるほど、そういう意味なんですね。

プレッシャー

プレッシャー
みのり
ただね、仕事はきついのね。
当時、女性は早く帰れるはずだったんだけど。
私は専門職だったから、専門職としての
時間の縛りで。残業は女子でも関係なくて。
だから、徹夜とかもあったし。
ーーー
それは母から聞いたことがあります。
みのり
最初はシステムセンターにいたんだけど、
技術職の人しかいないセンターだから
もうほんとにトイレも男性のトイレを
無理やり仕切ったような感じで。
泊まるところも、大部屋みたいな和室があって、
そこにみんなお布団敷いて寝てた。
ーーー
うわあ、ちょっとしんどいですね。
みのり
仮眠の時、そんなとこ女子が行けないじゃん。
あせん、会社の人がビジネスホテルを
取ってくれたけど。ほんと、そもそも
女性が働くような環境じゃなかったな。
だけど、仕事内容は楽しかった。
ただ、プレッシャーはすごくあった。
ーーー
具体的にどんなプレッシャーが?
みのり
うーん、やっぱ、何かあると
すぐニュースになるような感じで。
今だと、就職決まんなくてもフリーターでも
いいかな、とか色々と選択肢があるけど、
当時はそんな考えなかったのね。
もしかすると、都市部ではそういう女性もいたかもしんないけど、地元の千葉みたいな場所でそんな考えない。スマホもないしね。
だから、もう卒業したら、ちゃんとした会社に
終身雇用で雇われて、正社員でいるのが正しい
っていう考えしかなかった。
ーーー
周りの環境が影響していたんですね。
みのり
だから、きつくてもやめるわけには
いかなかったし。今だと転職って
キャリアアップかもしれないけど、
当時はキャリアダウンとしか思わなかった。
あの人はあそこでダメだったんだって
思われるから。
だから、転職も考えられなかったし。
ーーー
時代の影響も…。
みのり
そうねえ。
結局、子供産んで、1年休んで、復職したのね。
ーーー
それは何歳ですか。
みのり
それね、32歳。30歳ぐらい結婚した時に、
やっぱり周りは結婚して仕事を辞める人が
多かったけど、その時、会社に女性を
もっと雇用しようみたいな流れがあって。
出産は別として、結婚して辞める女性って
少なくなってきたかから、
もっと優秀な女性雇用しようみたいな形で。
やっぱり、会社としてはそういうモデルがいた方がいいわけ。
ーーー
企業の紹介ページに載るような人ってことですよね。
みのり
そういう感じ。こういう風に働いて、
若くて働いてる人いますよ、みたいな。
ちょうど年齢的にリクルート活動とかもやって。
実際、そのおかげで役職ももらっちゃって。
ちょっと上とか先輩を抜かして係長になって。
女性でも役職つきます、結婚しても働いてます。
いずれ出産を考えてますっていうモデルみたいな
位置にいたのね。
ーーー
えー、すごい!
みのり
それで、新しい女性とか入ってきたら、
例えば、時間短縮制度をなんとかしてほしいとか
そういうのを言ったりとかね。
会社の制度は意外にも言えば変わるんだけど、
モラルがね…。今は男性でも育児休暇とるけど、
当時のおじさんはそういう感じじゃないから、
時間短縮制度使ってるのにも関わらず、
残業してたりとかね。
ーーー
制度とは名ばかりにって感じですね。
みのり
うん、なかなか周りの環境は変わらない。
制度は変わっても、周りの環境が
なかなか変わらなくて、ちょっと大変だったな。
実際辞めたのは、子供が幼稚園入った時かな。
ーーー
なんで辞めたんですか。
みのり
それがね、子供が幼稚園入ったら、
みんなお母さんが送り迎え行くじゃん。
それで、なんかいいなと思っちゃったの。
ーーー
えー!
みのり
サボれるからじゃないよ。(笑)
やっぱ、子供といて、同年代のお母さんと
喋って楽しいな、みたいな。
子供も、ママがいた方がいいってちらっと
言うわけじゃん。
そりゃあそうだよねって思って、
辞めるって決めた。
やっぱりこの業界って結構進捗が早いから、
2年経って復職しなかったら難しいよ。
ーーー
情報が早いから。
みのり
そうそう。入ってても言語を常に3つぐらい
覚えさせられるのね。言語は意外に覚えられる。
覚えるコツみたいなもんが出てくるから。
だけど、やっぱり大変だよ。
常に勉強になっちゃうからね。
でも、やりがいはある。楽しい。
だから、事務職よりは何かやりがいを
感じるんじゃないかなって思う。
ーーー
そういう、作る仕事ですか?
みのり
そう。やっぱ何かを作ったり、
それこそ農業でもいいんだけどね、
何もないところから何か作るっていうのは、
何かやっぱり楽しいと思う。
好き嫌いもあるけどね。
ーーー
私も作る作業好きなので共感できます。

流されるコツ

みのり
ただね、結局私は、今振り返れば
そこが転機だったってなるけど、
当時はここが転機だとか思ってるわけじゃ
なくて、ほんとに流されてるのね。
でも流されるのも意外に大変で。
みんな、道を切り開くのがポジティブで、
流されたら意思がない、
ネガティブな感じだけど、
流れに乗ってバランスをとるってのも
なかなか厳しいわけ。
バランスをとる
ーーー
バランスをとる、とは?
みのり
だって前を見てなかったらさ、
岩にぶち当たるかもしれないじゃん。
バランス崩したら、川底に沈むわけでしょ。
流されてるっていうけど、流されても
ちゃんとできるにはなかなか難しいし。
でも、自分ではどうにもできないところって
あるじゃん。例えば、バブル崩壊とか。
ーーー
そういう、社会情勢とかってことですよね。
みのり
そういうこと。自分はこれだけ頑張って、
こうやってこの会社に入りたいと思って
勉強してきましたって言っても、
就職先なかったら、どうにもならないじゃない。
だから結局、固定のところは動かせないから、
動かせるところで動かすしかなくて。
そこを切り替えられるかだよね。
もし就職するときに私はこれだって決めて、
でもそこがどうしても難しかったりした時に
どうやって、動けるか。
そこが柔軟じゃないと
後悔しちゃうかもしれないよね。
ーーー
なるほど、
状況に合わせて行動を変えなきゃですね。
みのり
そうそう。
ただ、ちゃんと周りの状況を見てないとね。
ーーー
周りを見てないと行動も何もないですもんね。
じゃあ、みのりさん。
教育学部に入ったとおっしゃっていましたが、
もともと教師になる夢があったんですか。
みのり
それも流された。私、高校は英文科だったの。
結構、英語の授業がいっぱいのコースだったの。
だから、なんとなく大学も英文科とかに
行くのかなって思ってた。
ーーー
じゃあ何で高校で英文科に進んだんですか?
みのり
普通科を受けたんだけど、入学したら
成績がちょっと良かったから、
英語コースに入れますよって言われて。
で、入ったの。興味はあるよね。
やっぱ英語ってかっこいいし。
ーーー
私も英語のかっこよさにひかれて
英語が強い高校を選びました(笑)
みのり
やっぱそうだよね!
だから、大学も英文科行くのかなと思ってた。
でも、当時の英語の担任の先生が
小学校の先生を経験していた人で、
あなたはすごく小学校の先生に向いてる。
あなたみたいな小学校の先生がいたら、
すごくいいと思うって言ってくれて。
それまで、何もやりたいことがなかったわけ。
そこで、急にさ、小学校の先生っていう
職業が出てきたの。もう天職だと思ったわけ。
私、子供好きだし、みたいな。
ヨットのアニメーション
ーーー
最高じゃないですか!
みのり
そう、親からも、そんな変な英語だかなんだか、
よくわかんないやつより、教師はいいって。
だから教育の大学にした。
でも、教員採用試験落ちたんだよね…。
ーーー
あら…。
でも、落ちたおかげと言っては何ですが、
エンジニアの仕事と出会うことが
できたんですもんね!
みのり
それはそう(笑)
どっちの道に進むのも正解だったんだと思う。
ーーー
うんうん、なんか、みのりさんは
人生のターニングポイントが
いっぱいあるみたいですね。
みのり
そうだね、流されてたらいつの間に(笑)
とにかく、今みたくそんなフレキシブルに
考えられなかったの。
絶対就職して終身雇用じゃなきゃいけないし
っていう感じの社会の空気があった。
派遣とかもやっぱりすごい切られてたし。
やっぱり正社員じゃなきゃダメみたい。

便利とは

みのり
プログラム作ってる時にね、
自動入力システムを取り入れるって言われて。
そのプロジェクトに入って、完成して終わって。
数日後に高校の友達にたまたま会って、
今仕事何してるのって言ったら、
今就活してんだよねって。
派遣切られて、自分の会社の入力やってたんだよ
って言われて。
そこでわかったの、派遣が入力してたことを。
自動入力を取り入れることで、派遣を切って
利益を上げるっていう仕組みだったみたい。
ーーー
うわ、そんな裏の仕組みが…。
みのり
派遣を何千人も切るって、知らなかった。
そういうことだろうって、
想像すればできたんだろうけど。
その友達に今何やってんの、って聞かれて、
うん、普通のolって答えちゃった。
ーーー
いや、そりゃあ素直に答えられないですよね。
みのり
olかー。いいよね、正社員。派遣厳しいわ
って言われて。もうすごいびっくりして。
私が作ったプログラムが
彼女の仕事を奪ったんだ、みたいな。
ーーー
受け入れ難い事実ですね…。
みのり
会社行って、やばいっす、
私、友達の職業奪いました、怖いです
とか言って。そう、商品を作るだけじゃなくて、
そういうこともあるよね。
だって便利にするってことは、
その分今までのものをなくすわけでしょ。
だから便利もどうかな、と思う。
ーーー
便利っていいイメージしかなかったです。
みのり
今レジって全部無人じゃん。
あそこでさ、ピッピッってレジ打ちやってる
おばちゃん、どこ行くの、ってなるじゃん。
ーーー
確かに、仕事なくなっちゃう。
みのり
でしょ。だからまた別の雇用が
生まれるんだろうけどね。だから怖いよね。
よくよく見てみると、なんでも便利になってる
けど、その影に困ってるおばちゃんが
いるかもしれない。
ーーー
そんな見方したことなかったな…。
でも、そういうことが起こりつつも、
仕事にやりがいは感じていたんですよね?
みのり
もちろん!
やっぱり、職場にいる人と24時間一緒だから
仲間意識みたいなのが出てきて。
毎日文化祭の前日みたいな。
でも、そういうのが結構好きで。
やばい、もう明日だ。寝ないでやろうみたいな。
そんな感じのノリが私の性に合ってたから
楽しいと感じてた。それで病む人もいたけれど。
ーーー
実は私もその空気感嫌いではなくて。
結構好きで、めちゃくちゃわかります。
みのり
だよね、あなたもそうだと思った!
当時の私は従順で何も知らないからね。
知ってたら、何か反発とか要求があったかも
しれないけど、何も知らなかったから。
あの中に入ってるだけだったから。
ーーー
流れに乗ったんですね。

社会人になる

みのり
だから、学生時代までは平和だった。
だって、全部先生と親がやってくれるし、
行けって言われたところに行って、
座れって言われるから、座って。そんな感じ。
それなりに勉強もしたし、
やることもやったけど、
でも今思うと大して苦労はしてないね。
あんまり自分でこうしたいとかなかった。
その分、会社入ってからがほんとに厳しかった。
仕事しなきゃいけないじゃん。
だって、毎月お給料入ってくるんだよ。
ーーー
対価にあった仕事をしないとですもんね。
みのり
うん。私労働してないのに、もらっちゃって
いいんですかって最初の頃は思ったし。
だから自分から資料を持ち帰って、
家で読んだりとか。
だから、会社に入って、やらなきゃと思って。
やっぱりどっかで人生やらなきゃいけない時が
来るんだって気づいた。
ーーー
へぇ…。なんか、ちゃんと社会人になれるか不安になってきました。
みのり
さっきも言ったけど、私は仕事にやりがいを
感じて続けることができたから、
やらなきゃいけない、をネガティブに
捉えないで!きっと自分に合う仕事が
見つかれば楽しめるよ!
ーーー
そっか、そうですよね!
来年の就活頑張ろうかなって思えました。
みのり
そうじゃん、頑張ってね!もう一時間半か!
ーーー
ほんとだ。
本日は貴重なお時間ありがとうございました!
みのりさんの20代のお話を聞けて
とても楽しかったです!
みのり
よかった!こちらこそありがとうございました!
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